第2章 起業に向けて ~会社組織 vs. 個人事業主~

小冊子 150の成功と失敗に学ぶ起業
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第2章 起業に向けて ~会社組織 vs. 個人事業主~


佐竹と食事をした次の日、翔一郎は芝園貿易の先輩で現在、株式会社ネットバリューを経営している山崎隆一を訪ねることにした。
 株式会社ネットバリューは表参道のメインストリートから少し住宅街に入った一角にあった。
場所柄のせいか洗練された綺麗なオフィスで、社員も20人前後いるようだ。

「翔一郎久しぶり。元気だったか?」
 山崎は翔一郎に入社当初から仕事を教えてくれた恩師である。
「はい、何とかやってます。山崎さんに基本をしっかりと叩き込まれたおかげで、会社も信頼して業務を任せてくれています。」
 山崎は翔一郎を応接室に通し、白い革張りのソファーにゆっくりと腰を下ろした。
「で、今日はどうした? ウチに来て働きたくなったか?」

 冗談なのか真剣に言っているのか分からないような口調だった。
「実は会社を辞めて独立しようと思います。以前お会いした際に、お仕事を回してくれるとおっしゃっていたので。
もし何かお仕事を頂けるようなら、どのような仕事か具体的にお伺いしたくて、今日は来ました。」
 翔一郎はストレートに山崎に伝えた。

「独立ねえ。」
 山崎は少し含みのある感じで、翔一郎をじっと見た。

そして少し間を空けて、
「フリーランスとして個人事業主になるのか、会社を設立して経営者になるのか、どっちなの?」
 翔一郎は思考回路が停止したかのように、身動き一つできなかった。
翔一郎は独立することは、自分で稼いで家族を養うことと位置づけているだけで、個人事業主なのか会社経営なのかという問いかけの真意が分からなかった。

 もちろん個人事業主として事業を行うとはどういうことなのか、会社を設立するとはどういうことなのか、一般常識の範疇では分かっているつもりだった。
翔一郎が回答に戸惑っていると、山崎はしびれを切らした様子で、
「ウチは他にも5名程外注SEに来てもらっているんだ。
翔一郎さえ良かったら、ちょっと大きな開発プロジェクトに参加してくれ。月額報酬は税込み70万円で6ヶ月毎の更新だ。クライアント先に常駐するカタチになると思う。」と言った。
(別紙2参照)

物語【150の成功と失敗に学ぶ起業】 メモ2

 翔一郎は今、年額600万円の年俸制で働いており、月額は50万円だ。
しかし手取り金額は41万円(別紙3参照)のため、妻を養っていく上で少し心細いと感じていた。
「条件に不満はありません。

実は今、独立するに当たって事業計画書を作成しています。
申し訳ありませんが、お受けさせて頂くかどうか真剣に考えますので、月末まで待って頂いても宜しいでしょうか?」
「いいよ。」
 山崎は快諾してくれた。

物語【150の成功と失敗に学ぶ起業】 メモ3

翔一郎は帰宅すると早速パソコンの前に座った。

事業計画書

『① 商品・サービスの内容』

  Ⅰ.オンサイト(2)でのシステム開発業務
  Ⅱ.システムの受託開発運用保守業務
  Ⅲ.ITコンサルティング業務    ほか

『② 儲けるための仕組み(ビジネスモデル)』

月額70万円の安定収入を確保しながら、独自に受注出来た仕事は外部の業者へアウトソーシングすることにより、プラスαの収入を獲得する。

『③ マーケットとライバル分析(外部環境の把握)』

産業界から家庭までITは浸透し、さらに進化を続けている。
システム開発のニーズは今後も高く、代替するものは当面考えられない。
考えられるとすれば現在のITが未来のITに飲み込まれてしまうことぐらいだ。

また競合他社は個人から中小零細企業まで無数にあるが、実力さえあれば、十分競争力を持って戦うことができる。
クライアントニーズを的確に見極め、満足してもらえる仕事を行なうことが重要。

『④ マーケティングと販売戦略』

コストパフォーマンスを考慮し、インターネットホームページによるPRに重点を置く。
具体的な過去の開発事例を紹介(もちろん匿名)するとともに、目安となる開発案件の見積金額を明記する。
SEO対策も施し、キーとなる検索ワードがヤフーやグーグルで上位表示されるようにする。

『⑤ 人員計画』

私と事務員として妻の2名とし、当面業務の拡大に対しては社員を抱えるのではなく、外部業者にアウトソーシングすることで対応する。

『⑥ 収支計画』 ※別紙4参照

物語【150の成功と失敗に学ぶ起業】 メモ4

 簡単ではあるが、自分なりにはよく出来たと思った。
「よしっ、佐竹をまた食事に誘い出そう。」
 こうして翔一郎は再度佐竹と居酒屋で会う事にした。
「おまえが言ってた事業計画書ができたぞ!」
 少し高揚している翔一郎を無視するかのように、
「お姉ちゃん、とりあえず!」
「生ビールですね。」
 この国ではいつから「とりあえず」が生ビールになったのだろうか?
 乾杯した後、やっとプリントアウトしてきた事業計画書に目を通し始めた。
一通り目を通してもらったところで、翔一郎は自分の考えを自分の言葉で付け足した。
「山崎さんの会社から月額70万円の仕事をもらって、その収入を安定収入源と位置づけて、事業展開していこうと思う。」
 佐竹は独り言のような小さい声で、
「チャンポンやな……。」
 と言った。

っ?」
「独立するって言うてたから、てっきり会社を興すんやと思ってたわ。」
 少し残念そうな口調で言った。
佐竹がなぜそんなことを言ったのか、分からなかった。
事業を行う上では、会社の看板でも個人事業の看板でも同じことが出来るし、税金のことは分からないけど、会社か個人事業なのかは大した問題ではないと思っていた。むしろ会社の方が設立に時間と費用がかかる上に、経理などやらないといけないことが増えてしまうという印象を持っていた。
翔一郎は株式会社ネットバリューを訪問した際、山崎社長も同じようなことを言っていたことを思い出した。
 教えを乞うようで癪(しゃく)に障るが、単刀直入に聞いてみた。
「会社と個人事業の何が違うの? どっちでもそんなに違いはないように思うんだけど……。」
 佐竹は堰を切ったように講釈を始めた。
「一人や家族経営やったら会社も個人事業主もほとんど一緒や。
言ってみればどっちでもええ。
税金面の取扱いは違うけど、とりあえずそれは無視や。
大きく違うのは、どんな将来のビジョンを持って事業を始めるのかや。」
 翔一郎が眉間にしわを寄せながら黙って聞いていると、更に続けた。
「個人事業でも従業員が50人や100人いる組織もある。
でも、そんなん稀や。
会社組織にするのが普通なんや。

 会社組織を作りたいんか、フリーランスとして個人事業主になりたいんか、この事業計画では、よう分からん。
チャンポンや。
肝心なこと言うでぇ。
翔一郎がフルタイムでオンサイト作業をやったら、会社組織を作るのは無理や。」

 内心無理か可能かなんてやってみないと分かんないと言いたかったが、話の腰を折るのも嫌だったので、沈黙を守った。
「フルタイムで開発の仕事をクライアント先でやって、受託開発はプロジェクトマネージメントだけやって、あとは外注。
コンサルテーション業務も、平日夜と土日で対応するって、これやったらサラリーマンの副業と変われへんでぇ。
しかもオンサイトでの開発業務は6ヶ月更新の請負いときたら、芝園貿易に勤めたまんまで、会社に内緒の副業を始めた方がよっぽど賢いんとちゃうの?」
 言いたい放題言われたところで、翔一郎は反論に出た。
「会社に社員として所属しながら副業をやるのと、独立して事業として仕事を請け負うのとでは、うまく言えないけど、ぜんぜん違うと思う。
それにフルタイムでオンサイト業務を請け負うと、組織は作れないって言うけど、確実に得られる収入源を確保しながら、経営を組み立てていくことのどこがダメなの? 僕にも生活がある。妻もいる。」

 佐竹は翔一郎の反論の内容を予測していたかのように静かに聴いていた。

「翔一郎はまずどっちの方向に向かうんか決めんとあかん。
自分の向かっている方向も分からんと、先に進むんだけはやめた方がええでぇ。
会社を興して組織を作るっちゅうことは、経営者になるってことや。
経営者っちゅうのは、儲かる仕組みを作っていくんであって、自分が労働を提供して稼ぐのは、儲かる仕組みでもなんでもない。もちろん最初から儲かる仕組み作りに専念して、毎月の稼ぎがゼロやったら、それも勿論あかん。

 まあ難しいことは後回しにして、まずは経営者になりたいんか、それともフリーランスになりたいんか、真剣に考えたらええんちゃうかなぁ。
一旦、フリーランスの道に進みながら、ビジネスチャンスを探すのもええかもしれんけど、それやったら、サラリーマンのままで模索した方が100倍安全でええでぇ。
開発業務の仕事がずっと続く保証はないんやろ?」
 佐竹にそう言われて、ハッとした。

もちろん6ヶ月のオンサイト業務がそのまま終了することも、更新されることも、どちらの可能性もあることはもちろん分かっている。でも、山崎社長の会社だったら万が一更新されなくても、別の仕事を回してくれるに違いないと、甘く考えていたのだ。
 佐竹は翔一郎のノートパソコンを取り上げると、事業計画用に作成していた収支計画表のデータファイルを開き、キーボードを叩き始めた。
「6ヶ月のオンサイト業務が終わったところで、株式会社ネットバリューの仕事がなくなって、他の事業も立ち上がれへんかったら……。」

 パソコンの画面には、翔一郎が作った収支金額とは全く違う数字が並んでいた。
(別紙5参照)
 当然のことだが、収入がなくなると、自己資金が毎月約40万円減っていく事実を目の当りにした。
貯金が300万円、退職金が350万円、合わせて650万円の資金も、独立から2年後にはほとんどなくなってしまっていた。
そうなったら、またサラリーマンに戻るのか……。
「何度も言うようやけど、翔一郎は何をしたいんかはっきりさせた方がええで。
ほなご馳走さん。」
 お決まりではあるが、佐竹はさっさと帰っていった。

物語【150の成功と失敗に学ぶ起業】 メモ5

物語【150の成功と失敗に学ぶ起業】 メモ6

 それから1週間があっという間に過ぎた。
独立する意思は固まっていたが、フリーランスなのか会社なのか、どっちがいいのか、どっちがやりたいのかまだはっきりと見えていなかった。
もう一度、株式会社ネットバリューの山崎社長のところに行って相談しよう、翔一郎はそれ以外思いつかなかった。
 2日後の夜9時に時間を空けてもらって、再度山崎のオフィスを訪れた。
前回昼間に見た風景と変わらず、20名程のスタッフはみんな忙しそうに残業をしていた。
どこも同じだなと思うと妙な安心感が広がった。
「翔一郎、決めたか?」
 山崎は先日の回答を持ってきたのだと思い込んでいた。
「あっすみません、まだなんです。
実は少し教えて頂きたいことがあって今日お伺いしました。
先輩は先日なぜ私にフリーランスなのか、会社設立なのか、聞いたんですか?」

 単刀直入に聞いてみた。

「それはね、フリーランスだったら、翔一郎の開発業務のスキルを評価するだけでいいんだけど、もし会社を作ってその会社で請け負ってもらうことになると翔一郎に経営者としてのマネージメント能力があるかまで考えないといけないということなんだよ。
 同じ会社に勤めていて、翔一郎の腕がいいってことは知っているけど、経営はやったことないよね。

だからぶっちゃけて言うと、ウチの会社としては、フリーランスとして仕事を受けてもらった方がありがたいんだよ。
会社を作ってウチ以外の仕事を受けだすと、他のスタッフに仕事をさせることになるだろ? うまくいけばいいけど、そのスタッフが仕事できなかったり、トラブルになったり、スタッフへの支払いが売上入金より先に出て行って、資金繰りが悪くなったり色々あるからね、会社組織は……。
そんな問題を抱えながらウチの開発案件を担当してもらうようになるのが怖いんだ。」
 翔一郎は、山崎の経営者としての本音を聞くことができたことで、ずっと視界を遮っていた霧がスーッと消えていくような気がした。

そして、佐竹に言われて作成した事業計画書に、

 Ⅰ.オンサイトでのシステム開発業務
 Ⅱ.システムの受託開発運用保守業務
 Ⅲ.ITコンサルティング業務 ほか

 と書いて、Ⅰ以外は自分ひとりでは対応できないから、漠然と誰かに手伝ってもらおうと考えていたことを思い出した。
 そうか、オンサイトでの開発業務をフリーランスとして受けながら、他のサービスメニューも抱えて事業拡大を図っていくというのは、厳しそうだな。もしフルタイムで拘束されるんだったら、佐竹が言ったように会社に残って、副業としてビジネスを始めた方がよっぽどマシだと思った。

 翔一郎は山崎をまっすぐ見て、代替案を切り出した。
「勝手なお願いで恐縮ですが、自宅で作業が出来て、月の半分程度のボリュームで1年以上の継続が可能なお仕事は何かありませんか?」
 山崎は考え込んでしまった。そして今すぐ回答することができないからということで、後日電話で回答をもらうこととなり、面談は終了した。
 翔一郎が山崎から回答の連絡を受けたのは、ちょうど1週間後だった。
「もし翔一郎さえ良かったら、内部統制システムの運用支援をやってくれないか? 自宅での作業は無理だが、ウチのクライアント20社に2ヶ月に1回程度訪問し、サポート業務を行ってくれれば、月額30万円支払うよ。
去年導入したところだから、当分この仕事はなくなんないよ。」
「分かりました。一生懸命やりますので、是非その仕事を請け負わせて下さい。」
 翔一郎は即答した。

 山崎との面談以降、フリーランスなのか会社なのか、翔一郎の答えは既に出ていた。
フリーランスとして自分のスキルを売るのであれば、会社組織は重荷になるし、魅力的な仕事であれば、その仕事を提供してくれる会社に転職するという選択もありだと思う。
でも翔一郎が独立しようと考えたのは、作業を行ってその対価が欲しいということでは決してないと、気付いたのだった。
 
「会社を興して、儲かる仕組みを作りたい。」

  それが答えだった。 翔一郎は収支計画書を作り直すことにした。
(別紙6参照)

物語【150の成功と失敗に学ぶ起業】 メモ7

 改めて作成した収支計画書を見ると、山崎の会社からの売上げだけだとしたら、毎月11万円のキャッシュがなくなっていく計算になる。
すなわち、約5年で650万円の資金が全部なくなるということだ。
 しかし、翔一郎はこの数字を見て逆に安心した。
山崎社長からの受託業務が終了するリスクも当然あるが、5年間の中でしっかりと儲かる仕組みを作ればいいんだと思った。
 翔一郎は一度意を決すると行動が早かった。
会社に退職願いを提出し、2ヶ月後の円満退職で話がついた。
 また妻の美佳には、5年以内に必ず軌道に乗せるから信じてくれ、と半ば無理やり納得させた。

〈主な登場人物〉
  株式会社ブランニュースター
    代表取締役 真 田 翔一郎(主人公)
    取 締 役 真 田 美 佳(妻)
  株式会社ネットバリュー  
    代表取締役 山 崎 隆 一(元上司)
  税理士法人アシスト  
    税 理 士 佐 竹 孔 明(大学の友人)

物語【150の成功と失敗に学ぶ起業】

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