第5章 起業から企業への第一歩 ~良い借金、悪い借金~
佐竹に寿司屋で相談に乗ってもらってから半年が過ぎた。
翔一郎は、下請けの仕事については、継続収入が見込める運用保守メンテナンスがあるものに絞ることにした。
それにより、山崎の会社からの月30万円の他に、自社ホームページとビジネスマッチングサイトから少しずつ仕事を取ることができるようになり、毎月50万円の継続収入が入ってくるよう になった。
外注に出していた仕事を、少しずつ社員に切り替えていく時期かもしれないと翔一郎は考え、以前相談した不動産屋を通じて、代々木公園から程近い、築15年のオフィスビル5階を紹介してもらった。
しかし必要コストは585万円、いくら順調に受注を受けているといっても、即金で支払うことは困難だった。(次項参照)
翔一郎は佐竹の事務所を訪問し、知恵を借りることにした。
「久しぶりやなあ。そこそこ順調なんやて?」
「うん、何とか軌道に乗りつつあるって感じかな?」
「それで今日はどないしたんや?」
「作業のボリュームが増えてきて、社員を雇おうかなと思うんだ。それで事務所を借りることにしたんだけど費用を見積もったら、585万円もかかることが分かって、融資でも受けようかなと思うんだけど、どう思う?」
「それで、今の業績は?」
「毎月の保守メンテナンス売上が80万円と、開発案件が月平均すると売上150万円。開発案件に対する外注費負担が100万円てところかな。」
「じゃぁ、日本政策金融公庫の新規開業ローンでもアプローチしてみたらええんとちゃうかな? 500万円くらいやったら、まぁ大丈夫やと思うで。」
「でも、借入れなんかして本当に大丈夫か実は不安なんだけど……。」
「借入れには、良い借入れと悪い借入れがあるんや。
良い借入れというのは、簡単に言うと、前向きの借入れのことや。
会社が成長して事業規模を拡大していくときにお金が足らんようになることは当然のことなんや。
悪い借入れというのは、お金が足らんときに、急場しのぎで借り入れる場合や。」
「でも、借入れって、基本的にお金が足らないから借りるんだよね。」
「そうや、良い借入れと悪い借入れの大きな違いは、毎月のローン返済のためのお金を、事業からちゃんと稼ぎ出せるかどうかっちゅうことなんや。
悪い借入れの時っちゅうのは、金融機関にどうやって返済していくことができるのか、経営者自身がちゃんと見えてない場合が多いんや。
この商談がうまくいったら、売上げがあと5%伸びたら、余計な人件費を削ったら……という具合に、タラレバの話が中心になってしまうんや。それで、そのタラレバが外れたら、急速に財務状況は悪化して、負のスパイラルに入り込むんや。」
「負のスパイラルって?」
「簡単な話や、月々の資金が不足するやろ。そしたら広告宣伝費を削ったり、人件費を削ったりして、企業の活力が減退するんや。
普通にやっててうまくいってたら、悪い借入れなんかせぇへんやろ。結局、普通に事業をやっててジリ貧状態で、さらに広告宣伝費や人件費を削ったら、加速的に悪くなっていくことなんか、ちょっと考えたら分かることや。らせん階段を下に向かって回りだしたら、中々戻ってこられへんのや。ほんまにしんどいでぇ。」
「じゃぁ、良い借入れっていうのは?」
「良い借入れっちゅうのは、会社が成長している過程で資金が不足して、成長が止まったり、鈍化したりせいへんようにするための借入れのことや。そうは言うても注意点がちゃんとあるで。毎月の収入からローン返済できる環境にちゃんとあるかどうかや。
翔一郎の会社は今、売上げが固定収入80万円と受託開発収入の月平均が150万円で合わせて230万円あるんやろ。その受託開発業務を外注コスト100万円で対処してるっちゅうことは、130万円の粗利っちゅうことやな。
ここから売上に直接連動せぇへん役員報酬や家賃等の固定費を差し引くと約12万円残る。そこからローン約9万円を返したら、3万円が残るっちゅう計算や。」
「ということは、事務所は用意出来たとしても社員はまだ早いな。毎月スポット(受託開発)収入が順調に入ってきたら問題ないけど、減少したり、突然打ち切りになったりしたら一瞬にして、社員の給与が出されへんようになるで。
もうちょっと小さいオフィスでコストを抑えるか、社員でなくてアルバイトを雇うか、外注先のエンジニアにオフィスを提供して作業を行ってもらうかして、当分は固定費になる正社員を雇用するのは止めといたほうがええわ。」
「固定費って?」
「分かりやすく言うと、もし受託開発案件がなくなったら、収入がなくなるのと一緒に外注スタッフコストもなくなるわな。でも、正社員の人件費は収入に関係なく毎月発生するやろ。これが固定費や。 ついでに言うとくけど、借入れを起こす場合はその使途と税金の関係を無視したらあかんで。この次の表みてみ。普通に考えたら、お金が出て行くとそれは経費で、税金はかかれへんて思うやろ。」
「うん。」
「でもな、事務所の保証金や耐用年数がローンの返済期間よりも長い資産の場合は、支払ったお金に対しても税金がかかってくるんや。
要は、ローン返済額は経費になれへんし、ローンの目的となったものが、経費化せぇへんものやったら、税金負担が大きくなるから注意が必要やっちゅうことなんや。
事務所の保証金で説明すると、保証金はその価値が減価せいへんから、1年間で100万円ローン返済をしても、一銭も経費になれへんのや。
ということは税引き後利益で100万円を工面せんとあかんちゅうことや、税引き後で100万円用意するためには、167万円(14)の利益がないとあかんということや。(15)
(14) 実効税率40%として、100万円÷(1―40%)=約167万円。月額ベースで約14万円。
(15) 具体的な例は、次ページの表を参照。
(16)利息部分は損金(経費)となるため、ここでは考慮不要。
(17)60%とは実効税率を40%と仮定し、税引き後利益の税引き前利益に対する割合を表している。
毎月の収支は合ってて黒字やっちゅうのに、法人税が払われへんなんてことにならんようにな。借入れをした後に資金繰りに行き詰まる1つのパターンやから注意せんとあかんで。
翔一郎の会社はまだ1期目で消費税の納税義務がない(18)から、気にせいへんでもいいけど、消費税の納税義務が生じる3期目以降は、消費税にも注意せんとあかんで。法人税よりも消費税が払われへんケースの方が多いくらいやからな。」
「毎日ビジネスで精一杯で税金のことを考える余裕なんかなかったけど、考えていかないと大変だな。」
「そうや、法人税・法人住民税・事業税、消費税、源泉所得税ちゅうのが、主な税金で、会社運営と切っても切れない関係なんや。会社をつまずかせることなく成長させていくには、どれくらいの税金がかかるんか把握して、少なくとも3年程度の資金繰り計画を用意しとかんと、いずれ慌てることになるでぇ。」
(18)資本金が300万円のため、設立から2年間は消費税の免税事業者となっている。
翔一郎は佐竹の話を聞きもらさないように真剣な表情で聞き入っていると、不意に佐竹が笑い出した。
「翔一郎! なんか経営者っぽい顔になってきたでぇ」
「……」
翔一郎は少し笑みを浮かべた。
翔一郎はその後、渋谷から少し離れて代々木に約50㎡のオフィスを借り、アルバイト1名を採用することになった。
(5ヵ月後、佐竹の税理士法人アシストにて)
「久しぶりやな翔一郎。じゃぁ、第1期の決算前打ち合わせを始めるで!」
「おう!」
– 完 –
〈主な登場人物〉
株式会社ブランニュースター
代表取締役 真 田 翔一郎(主人公)
取 締 役 真 田 美 佳(妻)
株式会社ネットバリュー
代表取締役 山 崎 隆 一(元上司)
税理士法人アシスト
税 理 士 佐 竹 孔 明(大学の友人)
読者の皆さまの個別要因及び認識や課税当局への主張の仕方により、税務リスクを負う可能性も十分考えられますので、実務上のご判断は、改めて専門家のアドバイスのもと、行うようにして下さい。
弊社は別途契約を交わした上で、アドバイスをする場合を除き、当サイトの情報に基づき不利益を被った場合、一切の責任を負いませんので、予めご了承ください。